ポール・ケアホルムの原点について

ポール・ケアホルムは、1929年ユトランド半島のオスターブゥローに2人の姉に続く末っ子として生まれ、幼少の頃に地方都市ヤーイングに移住しました。

 

子どもの頃に左足を痛めて発育が止まったため、成人後も歩行に不自由さが伴いましたが、このことはケアホルムの性格と思想形成に、大きな影響を与えました。ハンディキャップを克服し、跳ね返す強固な意志、絶え間ない努力の足跡を、ケアホルムの経歴の中に見ることができます。

 

画家を目指していた若き日のケアホルムが、同じ町の家具職人グロンベックの下に弟子入りしたのは、祖父の強い支持があったからです。祖父は、脚に故障のあるケアホルムの将来を考えて、「手に職を持たせる」ことが最良の道を考えたのです。ケアホルムは昼間は家具職人の修行、夜は絵を描くことによって、夢を膨らませていたと言います。

 

その後、家具修行を終えたケアホルムは、22歳でハンス・ウェグナーの事務所で働きます。ウェグナーの出身地はユトランド半島の南の町トナーですが、首都コペンハーゲンから見れば北の町ヤーイングとは同郷のようなものでした。ケアホルムにとってはまさに幸運な出会いで、ここから運命の扉が開かれてきました。

 

14歳で家具職人の道に入り、のちにデザイナーを志したウェグナーと同じような道を歩み始めたのです。

 

のちにケアホルムは、ウェグナーの事務所に務めながら夜間にコペンハーゲン美術工芸学校のインダストリアル・デザインコースに通うようになりました。当時のこの学校の教員名簿には、まさに北欧デザインの黄金時代を支えてきた、ウェグナーや、デンマーク最高と言われる建築家、ヨーン・ウツソンを始め、アイナー・ラーセン、ベンダー・マドセンなどそうそうたる顔ぶれが並んでいました。

 

1952年、同校を卒業したケアホルムは、フリッツ・ハンセン社に勤務しながら、夜間は母校の家具コースで教えることとなります。デザイン活動と教育を平行して行うことは終生続きました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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